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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)3929号 判決

原告 山本駒之助

被告 原岩雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

本件につき東京地方裁判所が昭和三十四年五月二十五日与へた強制執行停止決定を取消す。

前項に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「債権者被告、債務者原告間の東京地方裁判所昭和二十四年(ノ)第五三九号建物収去、土地明渡調停事件の調停調書に基く強制執行はこれを許さない。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める旨申立て、その請求の原因として、

(一)  被告は原告に対する債務名義として申立に掲げた調停調書をもつてゐる。右調書表示の調停は昭和二十五年一月二十六日東京地方裁判所において原被告間に成立したものでありその調停には左記事項を含むものである。

(イ)  原被告間の東京都墨田区東両国四丁目五番地十二宅地三十二坪三合二勺の賃貸借契約は昭和三十三年十二月末限り合意解除し、原告は被告に対し次項の家屋の買取代金支払と同時に、右地上所在の木造トタン葺二階建店舗兼住宅一棟実測建坪十三坪五合六勺、外二階九坪三合九勺五才の建物より退去してその敷地を明渡すこと。

(ロ)  被告は原告所有の前項の建物の内、右宅地上に存する部分を原告から買取ることとし、(被告の買取る部分と原告保有部分との間には原告において障壁を作ること。)その価額(仕切り分を含む)は原被告において協定すべく、協定せざる場合は双方合意の上、東京地方裁判所所属の鑑定人中裁判所の選任した鑑定人一名の鑑定価格によること。

(二)  ところで被告は右(一)の(イ)の調停条項により原告の賃借宅地の明渡の強制執行を策してゐるが、元来原告は右宅地並に原告が訴外金田某より賃借した隣接宅地十三坪六合の両地に跨つて所在する(一)の(イ)に掲げられた建物を所有し、この建物に数十年来居住し、この建物で風呂桶の製造販売業を営んで来たもので、原告よりの賃借地を明渡すが如きことは夢想もしなかつたものであり、

前述の調停については弁護士阿部与三郎を原告の代理人に委任はしたが、その委任の内容は原告において従前通り原告よりの賃借地を使用し且つその地上の建物で営業を継続できる趣旨の調停に応ずべき権限を授与したに止まり、右賃借地についての賃貸借を合意解除し、その地上の建物を区分して被告に買取らせるような(一)の(イ)の調停を受諾する代理権限を与へたこともないし、原告自身において右の如き調停を応諾したこともないから、調停は無効である。

(三)  仮にさうでないとしても

(1)  前述(一)の(イ)に掲げられた建物はその構造上、これを区分すれば各独立の建物としての効用が失はれるので、区分できないものであるばかりではなく、

(2)  強ひて区分すれば、原告の営業は継続不能となるものである

ところ、原告は錯誤により建物は区分できるし、且つ区分しても原告の営業継続は可能であると誤信し、右誤信に基いて調停に応じたものであつて、右の錯誤は調停の要素に関するものであるから調停は無効である。

されば本件調停調書の執行力は排除さるべきものであるのみならず、更に調停条項自体について考へてみても、

(四)  前述(一)の(ロ)の条項によれば、建物を区分し、その区分の境界に障壁を設けることとなつてゐるが、建物の主要な柱の所在位置が、区分の境界線上にはないといふ不合理なもので、区分することが構造上不可能なことを推知させるばかりでなく、どんな障壁を設けるかについては具体的には明確を欠いてゐるのみならず、

すでに(三)で述べたように、建物の区分が不可能なのであるから、強ひて区分しても、その区分された部分について独立の所有権を認め得ないこととなり、従つて被告が区分された一部を買取つても、その所有権を取得することもできないし、所有権取得登記も経由するに由がないので、その買取に因る所有権取得を前提とする(一)の(イ)の条項に基く土地等の明渡請求権は発生しないので、この意味で右条項は無効である。

(五)  仮に右主張が理由がないとしても、(一)の(ロ)の条項による建物買取価格決定方法は先づ第一に原被告が協定することとなつてゐるが、原被告の何れか一方がその協議をすることに応じない場合にはどうするのか、この場合第二の方法として原被告合意の上鑑定人選定手続をなすべきものとしても、その手続をするについて一方が合意しないときは他の一方だけで選定手続ができるのかどうか等については全く不明である。しかもこの買取価格による買取代金の支払が(一)の(イ)の条項による原告の建物よりの退去並に敷地の明渡の条件となつているのであるから、結局調停内容を確定できないことになり、かような内容不確定の調停は無効である。

以上何れにしても、本件調停調書による執行は許容されないものであるから右調書の形式上有する執行力の排除を求める次第である。

と述べ、

立証として甲第一乃至第三号証甲第四号証の一、二甲第五、第六号証を提出し、甲第五号証は本件建物の写真で、昭和三十五年二月十九日の撮影に係るもの、甲第六号証は本件建物の見取図であると附陳し、証人山本勝太郎の証言並に原告本人尋問の結果を援用し、乙第九号証の成立は不知、その余の乙号各証の成立は認めると述べた。

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、原告の主張事実については、

(一)は認める。

(二)の第二段は争ふ。

調停成立の日である昭和二十五年一月二十六日の調停期日には原告代理人阿部与三郎弁護士(現在は死亡してゐる)が、原告並に原告の子訴外山本勝太郎と同道して出頭し、被告本人並に被告代理人との間に、調停を応諾したものであり、原告代理人がその代理権限を超越して勝手に調停を成立させたものではない。

(三)は否認する。

殊にその(1) については、建物は区分しても、その区分された部分のみで独立の建物と同一の経済上の効用を全うできる場合はその部分の所有権を認容できるものであることは言ふまでもないのであるが、本件建物の場合には、区分後原告の保有に残るべき部分は、階下に風呂場、便所、台所、店舗並に事務所が、二階に居室があり、店舗兼住居として独立した建物としての効用を具備してゐるのである。被告の買取るべき部分は除却してもよいのであるから、特に独立した建物としての効用の有無を問題とする必要は、本件の場合にはない。

(四)のうち、その主張の(ロ)の条項の存在は認めるが、その余の主張を争ふ。

(五)の主張も争ふ。(ロ)の条項はしかく不明なものではなく、

本件調停調書は債務名義として欠けるところはない。

と述べ、

立証として乙第一号証、乙第二号証の一、二乙第三号証乙第四号証の一、二乙第五、第六号証乙第七第八号証の各一、二乙第九号証を提出し、乙第九号証は弁護士五十嵐七五治の作成に係るメモであると附陳し、証人五十嵐七五治、山本勝太郎、谷口欣一の各証言並に被告本人尋問の結果を援用し、甲第一乃至第三号証の成立は認める。甲第四号証の一、二の原本の存在並に成立を認める甲第五号証が本件建物の写真であることは認めるが、撮影日時は不知、甲第六号証が原告附陳通りのものであることは認めると述べた。

理由

原告主張の(一)の事実は本件当事者間に争がない。

ところで原告は右(一)の調停は原告(調停調書では被告に該当する)代理人阿部与三郎が、その代理権限を超えて応諾したもので無効であると主張するので、この点についてしらべてみると、成立に争のない乙第一号証、証人五十嵐七五治の証言並に被告本人尋問の結果を綜合すれば、本件調停成立の日である昭和二十五年一月二十六日の調停期日には本件原被告各本人並に各代理人が出頭し、その席上で調停条項が読みあげられ、その調停条項に基く調停を原被告本人並に代理人において異議なく受諾したので、調停が成立したものであることを認めるに十分である。

証人山本勝太郎の証言中この点に符合しない部分並に原告本人尋問の結果中右判示に沿わない部分は信用するに足らないし、他に前段認定を左右できる証拠はない。

右認定事実からすれば、原告主張の代理権限超越の主張は採用の余地なく、理由のないものである。

原告主張の(三)については、証人山本勝太郎の証言中に「本件調停条項に従い、建物を切り離せば、本件原告方に保有される部分は壊れてしまう」旨の供述があり、又原告本人尋問の結果中にも「係争建物は二分できない。若し分ければ、ばらばらになり、原告方では家を建直さなければならないし商売ができない」旨の供述が(もつとも、右供述中には上手にやれば家屋を二つに区切られるかどうかは判らないし、区切つてもやり方によつては商売もできるかも知れない。程度の問題であるとの言もある)あるけれども、右各供述は後記各証拠に照しそのまま信用することはできないし、他に右(三)の(1) (2) の事実を認め得る証拠がないばかりか、本件調停条項によれば、東京都墨田区東両国四丁目五番地十二の宅地上に存する原告所有建物の部分を被告において買取り右買取部分と原告の保有部分との間に仕切をするというのであるから調停条項自体からすれば、建物が破壊されるわけはない(もつとも被告の買取部分だけを除却できるかどうかの点は後述)ので、単に仕切をする旨の右条項が実行できないものではないし、又区分所有権の成立し得るかどうかの点については本件建物の見取図であることについて当事者間に争のない甲第六号証、証人五十嵐七五治、谷口欣一の各証言並に被告本人尋問の結果によれば、本件建物の区分線は表通りに面する部分の風呂桶製作所に充てられている部分の北側より三分の二程度の所と脱衣室と便所の北側の廊下の北側より三分の二程度の所とを連ねる直線に該当するものであり、右区分線より南側の原告保有部分は表通りに面する店舗、その奥に続く事務室、廊下を隔てて台所、便所、脱衣室浴室の外二階六畳の居室を含み独立した建物としての効用を具備するもので、区分前に比較すれば狭くなることは当然であるが、営業もできないわけではなく、又区分線の北側、被告の買取るべき部分も建物として使用するに支障がなく、これを取毀す場合においても、原告保有部分を損傷しないで、取毀すことの可能性がないわけではないことを認めることができる。

以上認定の事実からすれば、原告主張の(三)もその理由がないわけである。

原告主張の(四)については建物の区分線上に柱がないからとて、それだけでは仕切ができないとは云えないし、他に仕切をすることを不可能ならしめる事実を認めるに足りる証拠のない本件では区分線上に区分に便宜な柱がないことは原告主張の(一)の(ロ)の条項を無効と解する理由とはならないし、仕切に設けられる障壁の材料の種類構造について調停条項に何等の取極めがないことは原告主張の通りではあるが、取引の通念上、右仕切の如きは本件の場合さまで重要なものとは思われず、しかも証人五十嵐七五治の証言によれば、仕切の障壁については、調停成立当時、「構造、資材等はなんでもよい。境界(仕切線)が明確であればよい」との意思が当事者の真意であつたことが認められる。してみれば障壁の構造、資材等については、特段の事情もないのであるから、本件建物に使用されているのと同等程度の資材と、これに相応する構造のものであればよいと解するのが相当であり、調停中に障壁の資材、構造について特に取極めがないというだけで右条項の内容が確定できないなどというのは信義則に反する主張で到底採用できないものであり、又

原告の(四)の第二段の主張の採ることのできないことも、すでに判示したところにより明白である。

次に原告の(五)の主張についてしらべてみると、本件調停条項中建物買取価格の決定方法に関する部分(原告主張の(一)の(ロ))は、当事者間で「価格を協定せざる場合は双方合意の上、東京地方裁判所所属の鑑定人中裁判所の選任せる鑑定人」ということになつているが、この条項の要旨とするところは、「価格について比較的慣熟している評価能力のある公平な第三者の評価による」というにあることは疑を容れない。ただその表現の文言としては、かような場合当事者双方の合意の有無が公平の評価を得るについて、意味がないと思われるし、又かように当事者間に価格の協定ができないからとて、裁判所が鑑定人を選任する法律手続上の根拠に乏しく(本件調停調書に基く明渡の強制執行については成立に争のない乙第三号証によれば右執行に先立ち裁判所が鑑定人を選任したように推定できるが、その法的根拠は不明である)従つて文言を鵜呑みにすれば、原告の云うように不明の点が生じないわけではないが、これを信義則に照し文言の表面にのみ拘泥しないで、その合理的真意を汲み取るときは、「価格の協定が成立しないときは、当事者は東京地方裁判所が予ねて鑑定人として指定しているいわゆる指定鑑定人のうちの一人に鑑定を依頼し、その鑑定人の評価額を買取価格とする趣旨であり、この鑑定人の依頼については当事者の合意を原則とするが、当事者の一方が価格の協議もしようとしないような場合(かような場合には鑑定人の依頼について協力も期待できないであろうから)には他の一方だけで鑑定を依頼できる」という趣旨と解し得ることは、証人五十嵐七五治の証言並に同証により真正に成立したと認められる乙第九号証によつても明であるが、右各証拠を措いても、調停条項自体の合理的解釈としても前述の通りと解さないと、「双方合意の上」という文言も「東京地方裁判所所属の鑑定人」という文言も「裁判所の選任せる鑑定人」という用語も全く無意味のものとなるのである。しかも当事者間になされた調停を、合理的解釈の余地があるに拘らず、敢えて無意味のものと解するのは正当のものとは思われない。

右判示によれば原告の(五)の主張も採用する限りではないことになり、本件調停調書はその記載の措辞に妥当を欠く点があるけれども、債務名義としてはその任に堪えない程のものとは認め得ないので、債務名義としての執行力の排除を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を、強制執行停止決定の取消並にその仮執行の宣言につき同法第五百四十八条、第五百四十七条第五百四十五条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 毛利野富治郎)

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